なんとかいきてる

ゆるく幸せに生きられますように。HSS型HSP、INFJ、数秘33の気質だからなんだか生きづらかったんだなあって気づいたよ。離婚、アダルトチルドレン、不登校、うつ、自死遺族などなどいろいろあってインナーチャイルドと向き合っているよ。色々重いこと書いたけどコーヒーやカフェやらくがきがすきなただのおたくだよ。

1日1分でいい!できる大人の心の習慣

 

 

 

この本すごくよかったぞ、

今のちょっと強くなった自分に刺さったの

 

やっぱりいろんな参考文献を読んでみたけど「気にしない、自分のことを大切に、自分の機嫌は自分で取る」っていうのが1番しっくりくるというか、大切にしないとだなって改めてしみじみ

 

 

刺さったところ付箋してみたけど多くてわろた

 

 

 

 

自分に余裕が出てくるとなんだか昔のことを思い出してその時のことを答え合わせしたくなっちゃうようなそんな気持ちに駆られちゃったりするのですが、ちょっとだけそんなことを綴ってみるね

 

 

とりあえず幼稚園時代から遡ってみるね

 

昔からやっぱり集団生活は恐怖でお家が大好きだったな、なんというか今よりもずっとずっと心配性のきわみで新しいことに対する不安が大きすぎる子どもだったなと

幼稚園時代がはじめての集団生活だったのですがその時から先生に甘えるとか、かわいく振る舞う(?)っていうのができなくて、やっぱりなんていうか、扱いづらい子どもだったと思います

 

 

子どもながらに今先生のところ行ったらこまらないかなとかそんなことを考えて自分から行けなかったり、お友達に対してもそんな感じで自分の気持ちもなかなか言えないから、当時から人と関わるより1人でねんどとかお絵描きしてるのが楽だし好きだったような気がしてて

最初は集団生活も怖かった気がするけど、幼稚園って毎日のルーティンがしっかりしてるから行きたくないなあったほどではなかったかんじがするな

あとはものすごく常に緊張しててトイレが近かったからいつでもトイレに行ける環境が安心してた気がする(

 

幼稚園生活もっと無意識で楽しめって当時の自分にいいたい

 

 

 

 

小学生は校舎も怖いし、何をするかもわからないし、時間割もわからないし、移動教室とかはじめてのことまみれの不安でとにかく登園しぶりと保健室登校をひたすらしてたきがする

 

小学生の無邪気さになんとなく違和感と溶け込めなさを感じてて、当時から「お友達になろ」っていろんな子に声をかけてなんとなく仲間は作ってみたけど遊び方もわからないしいまいち楽しくないし、結局流されるままに遊ぶことがおおかった気がするな?

疲れちゃったら図書室と保健室でちょっとひとやすみするのが好きだった

 

何がこんなに不安なのかわからなかったんだけど、当時から色々考えすぎてて溢れる気持ちは大きいけど上手く言葉に出せなくて吃音も酷かった気がする

上手く話さなきゃ→話せない→やだってきもちがひたすらエンドレスで毎日泣いてたな〜〜もちろん人前では泣かないから親の前で泣き喚いてたわろた

 

 

小学生はそんなところをからかいはじめる子も出てきたから余計に日直とか音読とかが恐怖で、人前で話すことも「上手に話さなきゃ」ってがちがちに自分を負担をかけて

次当てられたらどうしようってずっと緊張してた思い出しかないな〜あと移動教室とか授業もみんなはじめてのことなのに「うまくやれるかな」とかそればかり心配してた気がする

あとトイレが近いから(ry

 

このあたりが1.2年生なんだけどほんとに毎日不安と生きづらさでいっぱいだったなあ、集団行動も疲れてたし、にぎやかで人が多いところが昔から好きじゃないからそもそも全校集会も苦しさしかなかったな

いつ終わるかわからないっていう不安も大きかったのかも

 

 

小学校生活もっと無意識で楽しめと言いたい

 

 

今の私がちっちゃい私に言えるならそんなにがちがちに緊張しなくてもなんとかなるんだよっていいたいな、こどもだからうまくできないのは当たり前だし、みんなはじめてのことだし、あとは上手く話せなくても誰も笑わないよとも、いや実際笑われたかがきんちょたちに

でも小学生男子ってほんとに小学生男子としかいいようがないから、そういうもんだよって大人になったらわかるけど当時は本当に嫌で毎日明日が来るのがいやだなって怯えてたな、よく頑張って生きてたわ、あとこんな毎日絶望してる子どもによく寄り添ってくれてたな母親

 

 

 

なんてつらつら話しながら一緒にインナーチャイルドをどさくさで癒すという荒技な??

 

ちょっと色々思い出してわーんってなってきたからまた続きは今度にするね、なんて思えたのも成長、

 

 

夜桜綺麗だったな

 

 

このあたりの幼少期のいきづらさ周りとはあまり分かち合えなくて、HSS型HSPもあると思うんだけど数秘33の方が似たような感覚あるってどなたかのブログで読んで!こっちの気質でもあるのか?!そりゃあダブルで生きづらいわけだわ!よく今まで生きたな???ってすごく心が救われた気持ちなんだよな!

 

 

あと今はだいぶ良くなってきたけど吃音ほんとに酷すぎたなって忘れてた記憶、自分ができないことがあるのが嫌で、高校時代飲食店にバイトで飛び込んでたくさん泣いたけどそれでだいぶ話せるようになったんだっけ

このあたりもまたつらつらと話せたらいいなあ、結局、完璧に失敗せずに変と思われないように話さなきゃっていう恐怖が頭でぐるぐるしててパニックになっちゃう自分の気持ちの持ちようなところが大きかったなと今だから思う、ほんとにつっかえたように声が出ないのよ

無音からの連発、しんどかったな〜〜

 

 

 

生きるために、捨ててみた

 

 

 

お恥ずかしながら私は芸能人にはあまり詳しくなくて、すごく有名な人もテレビでほんのり見たことあるなあくらいの知識しかないです(いきなりの謎自己紹介)

 

 

エッセイを読むことも増えたのですが、全く知らない作家さんのお話を読むよりも一度見たことある人の方が脳内にその人が浮かんできて、勝手なイメージがあったりして

「このひとこんなこと考えてるんだな意外だな」とか気付きがあっておもしろいことに気付きました

 

といってもまだオードリーの若林やさかなクンくらいしか見たことないんだけどね

なじみの図書館で芸能人エッセイコーナーを見つけちゃったのでまた捗りそうです、うきうき

 

 

 

今週のお題「きれいにしたい場所」

だいたひかるさんのエッセイは「フランス人は10着しか服を持たない」にかなり近くて、お気に入りのもの、少数精鋭のものを大切にっていう結論(だと思った)んだけどね

 

かなり影響うけたのはいうまでもない

思い出のものも捨てられないし、細々としたものが多いし、わかりみが深すぎてもはやこわかった(笑)

 

 

あれもこれも捨ててもいいんだよって背中を押された気持ちだったり、過去のものを大切にしすぎて未来の大切なものを入れるスペースがない(的なこと)がほんとに腑に落ちてさ

 

ほんとに大切なものを大切にするのを意識したいなってちょっと気持ちがまたアップグレードしたりもした

とくに身の回りの生活の環境、キッチンやリビングはなるべくきれいにしておきたいしお気に入りだけで固めてひたすらハッピーに過ごしたいなって思った

 

 

 

宝物のコーヒーサーバー

 

 

それにしても、メンタルズタズタうつ真っ最中休職自己肯定感どん底の時はそんなこと全く思わなくて、ただただ自分をズタズタに責めて1日を終わらせてたなってしみじみと思い出した

 

だからこそ自分を大切にするっていう気持ちにもならないから、掃除も洗濯も本当に本当に必要最低限でなんならお風呂も入れないくらい、だから布団干したりとか敷きパットを洗濯とか窓を開けて風を通すとかそんなこともほんとに調子のいい時にしかできないくらいだったの

 

コンロを綺麗にするとか鏡を磨くとか床のクイックルワイパーとかもはや考えられなかったな

自分を大切にするとどんどん余裕が出てきて身の回りを整えることができるのかなとしみじみ、今は自分が過ごす環境も気持ち良くしようとドライフラワー買ってみたりプラスアルファのことができちゃってるからね、ほんとにすごく回復したなって思うの

 

何年かかったかなあ、長かったなあ

 

 

周りを大切にするのはもちろんだけどしっかり境界線を持って、自分を1番大切にっていうのがほんとに心の奥にじわじわときててね

他の人は自分が思うより私のことなんて見てないし興味もないんだなって改めて気づいたりもした

 

自分の境界線のバグからの他人に対する意識が過剰だったんだなって気づいてふるえたり、いろんな気づきや学びがあったからこそ今は誰に対しても程よい距離で近すぎることなく関わることができたり、

だからといって遠すぎることなく、とても心穏やかな心境です

 

 

自然に触れ合うことも多いからかな?

 

 

そんな感じで新年度が始まったわけだけど、この気持ちを大切に新年度も謙虚に感謝を忘れずいきたいなって宣言しておくね

 

今年も本をゆるく読みつつ、インプットだけだと頭の容量がパンクするのでほどよくアウトプットもしつつ、身の回りを程よく綺麗にしつつ

人に対してすぐ距離がバグっちゃうから境界線はしっかりを意識していきたい、その分自分を大切に、自分の過ごしやすい環境を整えるのだ

 

 

↑周りの人や大切な人のことを気にはかけるけど、踏み込みすぎない、頼られたらその時にできる範囲でできることをする、自分に念押し

 

 

月の満ち欠け

 

 

あまりにも言葉選びがすてきすぎてびっくりしてた

 

 

なんだか最近少しだけ心がぽかぽかしてるようなそんな感じです

 

とくに意識をして人との境界線を大切にするようにしててね

周りの人からの感情に自分が引っ張られないようにするとか、大切な人だからこそ踏み込みすぎずじゃなくて幸せや応援な気持ちを1番に、頼られた時だけ全力で受け止めるってことを大切にしてみたの

すごく自分の気持ちがおだやかでびっくりしてます

 

 

そもそも人の気持ちを察しやすくて敏感になっちゃって生きてるだけでかなり消耗してるんだよねって実感したりもして

自分では普通に生きてるつもりだったけど、その上で自分が消耗して周りの人へ心を配ってるっていうのを意識してみたらほんとにそうだなって実感したりもして

 

それでもなお、かなり自分の中では距離を取ってるつもりでも「あたたかい、やさしい」って言ってもらえて、今までの私ってどれだけだったんだろうってふるえたり

でも優しいだけが取り柄というか、誰かを肯定することで自分を肯定されたいって下心もあったのかな、わからないけど、自分の経験とか体験とかで多分いろんなひとの気持ちがわかるから誰かの力にならなくてはとか、全ての人にマイナスイメージはもたれないようにしなければっていうよくわからないけれど焦る気持ちもあったのは確かで

 

でもここしばらくはそんな気持ちはびっくりするくらいなくなって

今さらだけど、自分は自分のために生きてもいいんだな好きなことしてもいいんだなっておもえるようになりました長いねほんと今更、わろた

 

 

でもなんていうかマイナスには思われたくないけど、あらゆる人に好かれたいとか言われるとそんなわけではなくて、むしろ好かれたいわけではなくて、好きだなと思った人にだけ好きになってほしいとかそんな気持ちで

うまくいえないけれど、自分が置かれてる環境、特に職場かな?で自分以外の誰かが苦しそうだったり笑ってなかったらしんどいとか、自分のせいで誰かが嫌な気持ちになってたらそれはもう耐えられないとかそんな感じなのかも

 

その場にいるみんな幸せな気持ちでいられたら私もうれしいって気持ちが大きくて無意識に浄化しようとするって表現がしっくりきてね

 

なんていうかそれはひとりよがりだし誰かが何かを感じたりはもちろん自由だし、誰かが周りを嫌な気持ちにしたとしてもそれはその人の課題で私が慌てたりフォローすることはないんだなっていうか

自分が嫌だから雰囲気を良くしたいけどそれに対して人に対して踏み込みすぎるのはまた違うなと思ったり、そもそも求められてないしっていうのをようやく、ようやく気づけたというかそんな感じです

 

 

 

それで話戻るけれど、

自分ファーストで自分の機嫌をとる、食べたいものを食べる、好きなことをする、人のことは気にしない、余力で溢れてるっていう人が周りにいるんだけど、あまりにも幸せそうでハッピーオーラがすごくて

 

自分を大切にしてるから、自分をたくさん褒めてるからこその、心の余裕がすごく素敵でまぶしくて見習いたいなって思ったな

 

 

でもやっぱり素の状態で生きて好きなことしても許されてのびのびと生きてこられたからこそなんだよなってまぶしくなっちゃったりもしたり、少しそんな幼少期を過ごせてる人にうらやましくなっちゃったりもしたり

やっぱりうらやましい気持ちがあったんだなって気づいたりした、苦しかったね好きなように生きてみたかったねと昔の自分に一言だけ伝えとく

 

 

そんな私は早起きしてなんだかティラミスとコーヒーが食べたいって思い立ってしまって、思いつくままに支度して着替えて出発したの

今までだったら自分のために、勢いで、自分ひとりだけが食べるおいしいものにお金を使うってあまりないからすこしどきどきしてる

 

 

それで読書しながらおいしいティラミス食べて、気持ちも心もしあわせになれたんだな

そういうことだよね、ってかんじです

 

 

 

 

 

 

 

「敏感すぎて困っている自分の対処法」つづき

 

まさか同じ本で2回記事を書くと思ってなかったんだけどいいの自分のブログだから〜〜

 

一周読んでびっくりしちゃったんだけど、やっぱりかなり人に影響される気質だったなあ私ってしみじみしたり

エナジーヴァンパイアって単語がかなりぐさっときたんだけどかなりそんな人たちにエネルギーを吸い取られているというか、自分から差し出してるというか、そんなことを気付いたの

 

 

もともとは福祉施設で働いてて、そりゃあ仕事だからねそのひとりひとりの子どもたちの特性や環境や背景を考えながら関わり方を学んだり実践したり深く深く考えようとして信頼関係を築こうとしちゃったんだけも

自分がかつてそうしてほしかったみたいに、助けて欲しかったみたいに、そんな気持ちがわかりすぎちゃうからこそ、生活の支援というところで自分とその子たちの境界線がわからなくなっちゃってたなってすごく実感して

私は働いちゃだめだなって実感してしまったのも大きな学び

 

 

そうかんがえると私が今まで関わってたこの本に書かれてたエナジーヴァンパイアと呼ばれる人たちとの関わりも

結局はへとへとになっちゃって少し自分が離れて、それを敏感に感じ取った相手から怒られたり不満をまたれたり縁を切られるって事例が多かったんだけど、思い返せばあれもこれも境界線何それ?って感じで相手の課題や心にずかずか入り込んでるだけだったなあ、それで自分から喜んで差し出してるだけだったなあって改めてしみじみしてようやくいろんなことに気づく

 

 

でもやっぱりそれは根っこを思い返せば幼少期からのこわいきもちとか、アダルトチルドレン系のもやもやで人と完全な関係がうまくできてなかったからそりゃあわからないよねっていうそれも納得で

 

むしろ色々あって納得の流れで小学生から不登校になってフリースクールだったけど、よく、ここから高校に戻って大学就職といけてここまでこれたなって自分を褒めたい気分だなって、おもったりもした

やっぱり1人じゃ生きていけないっていうのはすごくしみじみしてて、その場面場面で助けてくれたり手を差し伸べてくれる人は絶対いて、高校時代は部活の先生やともだちかなあそんな人の助けや優しさにとっても助けられてきたなって

 

逆にたいせつなその人たちはがつがつとこちらに踏み込んでくるとかそんなわけではなくて、ずっと見守っててくれて、いつ落ち込んで吐き出したとしても「話してくれてありがとう待ってたよ」って感じで助けを求めたら受け止めてくれるって感じの、境界線がしっかりしてた関係で楽だったなってしみじみしてて

 

 

この本の中にも痛みや苦しみに共感しすぎず回復を祈るって見出しがあってすごーく時間がかかったけど伏線回収???っていうか

そうだったんだ、っていろんなことがわかって気がしたの

 

見方を変えれば「相手が問題を自力で解決できることを、信じてない」ともいえる

っていう一言がすごく刺さって共有するね

 

人の問題はその人の学びなので、一緒になって心を乱すのではなく、相手の底力を信じて穏やかにそばで見守る、助けを求められたらその時できる範囲のことをする

っていう一言も刺さったよ

 

 

 

 

昔から悲しい時とかしんどい時とか、漠然と「誰か助けてよ」「誰かわかってくれ」って気持ちがあってそもそもこの「誰か」に助けを求めたりわかってくれたらいいなっていうのを望むっていうのが、勝手に期待したり逆もまた然りで苦しくなっちゃうし求めるのがそもそも間違ってたんだなときづく

 

 

「誰か」っていうのも誰でもいいわけではなくて、無償でひたすら嫌わずにずっとずっと全力の味方で愛情を与え続けてくれる親みたいな人、しかも男性に求めただったようなところあるからやっぱり両親が離婚して父親のトラウマというかなんというか、優しいお父さんっていうのは憧れで羨ましくてなんなら今も求めてるのかなとか漠然とねわろた

 

 

それもたぶん親と良好な関係を築けてる人だったら「誰か助けてよ」の「誰か」が何の疑問もなく親になるわけで、何の疑問もなく当たり前のように助けてもらって支えてもらって頼れてしあわせでそこからなんの問題もなかったと思うんだけど

そもそもその根っこからの考え方に違いがあって親の関係で敏感になる(略しすぎわろた)っていうのがなんだかとても腑に落ちたわけだな

 

 

自分軸で生きるっていうのはそういうことなのかな〜〜

でもたぶん前にも綴ったけど私が特に変わっててものすごく扱いづらいっていうのもわかるし親も親で親一年生だからお互いにぶつかる未来しかなかったわけだなっていう

のもわかる

 

 

 

なんていうか、うまくいえないけれど、人は人、自分は自分、自分のことを大切にっていうのをさらに意識したというか

根本の考え方が塗り替えられたというか、よくわからないけど

 

 

 

早めにこの気持ちや気づきを残しておきたくて、綴ってみたよ

 

 

 

 

 

 

 

表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬

 

ライトハウスを見た時から若林のゆるさと毒舌さと根暗さ、どろどろとした感じがものすごく共感の極みでね、一気に読み切ってしまった

旅行というか私のことを誰も知らない世界で誰の目も気にせずに気ままに過ごしたいっていうのが特にわかりみがふかい

 

 

ほんのりちょっと落ち気味です、よくない

最近知り合ったお友達が仕事で合わないお局がいるみたいでモヤモヤしてるらしく、家でも休みでもかなり心身的にきてるみたいで自分と重なって見えて心配でね

 

自分の休職からの退職の流れ、かつ傷病手当や失業給付ももらい切ってその流れ、からのそもそも休職に至るまでの自分の経緯などなど

その上で心配だから心療内科おすすめだよってわりと心を込めて傾聴共感受容だったのですが、どうなるかというと、自分もまだ完璧に乗り越えたり終わった話じゃないし、そもそも自分の話をするのがあまり得意じゃなくてもう手汗震えみたいになっちゃって、ちょっとまだ早かったなあって気持ちです(あほ)

 

 

いやでも自分が溜め込んで溜め込んで限界超えて倒れてもっと早くに受診すればよかったなあって気持ちもあるからこそすごく寄り添ったのはほんと

まだ乗り越えてないみたいで、それと同時にもっと早くに受診してたらまだ仕事続けられてたのかな、ってほんのり違う未来も想像しちゃって苦しくなったのもほんと

自分はあまりにもその根深さに誰にも話せなくて溜め込んでしまったからこそ、自分のこと特にマイナスなことが話すのが苦手だからこそ、察してほしくなくてむしろにこにこ何事もなく笑うのが上手だからこそ、私含めて複数人に上手に吐き出して気持ちを限界になるうちに発散できてるのがちょっとだけ、うらやましくなっちゃったのもほんと

でも今の自分からタイムマシンで戻ったとして、当時弱音を吐けたかというと多分難しくて、弱音はのどでつっかえちゃうし、できることなら私の話に共感して悲しい気持ちになってほしくないのもほんと

 

 

 

あとこんな形で思い出しちゃって、まだまだあんまり大丈夫じゃなかったと気づいちゃったのもほんと

 

 

そんな感じで、自分を満たすことができてきてるからこそ、自分の経験値がたくさんあるからこそ、ちょっとだけ踏み込んじゃって自爆してるわけですね

ほんとばか〜〜〜

 

 

あ、もちろん、聞くのがいやだとかそんなわけではないしむしろ弱音はどんどん教えてって気持ちで

同じくらい自分がダメージを受けちゃうというか、自分の悩みのように同じくらいの熱量で考えちゃうというか、大切だなと思うからこそ、うまく言えない

 

 

 

 

このあたりもこの前読んだこれ

に色々刺さるようなことが書いてあったからまたまとめたいなって思うの

 

 

 

殴り書きのようなぐわーっとした吐き出しでごめんな、でも、今まではこの気持ちを感じつつもいろんな人の気持ちに共感して同時にいろんな人に多分エネルギーを渡してた気がするのだけど

今は、自分のことを大切に、自分は自分ってことを大切に、また頼ってくれたら聞くけれどそれまではその人の1番良い方法を考えてみたりするのは休憩して、自分のことを大切にしようって思うことができたのもかなり成長だなってしみじみしました

 

 

 

こんなことも、インナーチャイルドHSPトラウマについて学びを深めなかったらずっとずっと気づかなくて誰かに対して気持ちを消耗してて

きっと昔受け止められなかった分誰かを受け止めたいって気持ちなのかな、それとも敏感ゆえのなのかな、もしくは数秘33あるあるなのかなわからないけれど

 

自分が優しいとか優しすぎるって言われた理由がちょっとだけ、わかったようなそんな気がしました

これもほんと驕りというかこんなふうに考えてしまう自分がなんだかすごく嫌いだなっていうよくない自己嫌悪です

 

 

大切な人を大切にする

自分を大切にする

 

 

 

なんて書きながら気づいたけど、たぶん、その人はシングルマザーでお子さんを育てながら働いてその上で休職したいけどって気持ちがつよくて

自分の親もそうだったのかな、苦しかったのかなとか、不安定なところをなるべく見せないように気丈に振る舞ってくれてたのかな、でもたまに溢れてて確かに幼少期の自分も不安定で苦しかったなとか

いろんな気持ちが重なるという多分そこだな

 

 

こんな気持ちもいつもは抱えてひたすら反省会してたから、吐き出す場所があってよかった、こんな気持ちはここにしか出せないわろた

まだ全然いろんなことが乗り越えられてないな

 

 

幸せになる勇気

 

 

嫌われる勇気があまりにも刺さったので思わず続編も読んでしまったのよ

 

 

やっぱり心に残ったのは

今にスポットを当てて、自分を大切に

 

 

以下半年くらい前にいったん家族に対しての気づきがあってぶわーって書き殴ってたんだけど!

向き合いすぎて調子を崩しちゃった時のやつ!笑

 

 

 

今週のお題「卒業したいもの」

今年はインナーチャイルドや過去の囚われから卒業したいな、今を生きるの

 

 

 

当たり前のことかもしれないけれど言われないと自覚できないものなんですよね、遠い遠い未来のことが心配になっちゃってぐるぐる考えて動かなくなったり、どうしようもない過去のことでおちこんだりもっとどうにかならなかったのかなあのときってずっと反省したりそんな反省してる自分を自分を追い詰めたり

 

気持ちが未来と過去をあっちに行ったりこっちに行ったりしてて全然今にスポットを浴びてないなあって、とても心に刺さったのよね

 

 

 

ところで全然話が変わるのですが自分軸他人軸もようやく少しずつ自分の中で腑に落ちてきたというか納得できたというか

これまではやっぱりアダルトチルドレンなのかHSP気質から来るのか昔から親に受け止められずに否定ばかりされてて、といっても最近ようやく気づいたのは親は20半ばくらいに私を産んだけど今の私はその親の歳を超えて思ったのがまだまだ子どもじゃん(?)って感じなんですよね

 

今の私はまだ過去のことでぐるぐるしてるのに親は今の私くらいの時には私を産んで育てて、シンプルに、なんか、すごいなって思ったんですよね、自分はまだ全然がきんちょで自分の世話すらできてないのにさあ

 

だから昔のわたしからしたらすごく大きな存在で絶対だった母も、心はお母さん一年生だったからそりゃあ受け止めたりとかできなかったよなあって思うことが少しだけできたんです、年子の妹に、いとこも同じくらいで一気にできて、そりゃあ年長のわたしはしっかりしてほしいだろうし

繊細すぎてめんどくさかっただろうし、妙に冷めてて扱いづらいというか(うまく甘えられなかっただけだけどさ)どうしたらいいかわからなかったんだろうなと思うことができてきたんですよね

 

子どもらしく無邪気に甘えることができたらって当時の私も1番悩んでたし、気持ちを話すこともできないし、弱音なんて吐けないし、泣くことも恥ずかしくて、でもわかってほしくて怒ってばかりいた苦しい思春期のことをなんだか次から次へと思い出したりしました

可愛くない子とか、いじわるな顔とか、すごい言われてたのも思い出すな、確かにいきなりお姉さんらしくと言われて納得できるわけはないんだよ、まだ甘えたい盛りなのにさ???

 

 

たぶんがちがちにそんなことを言われ続けてきたから私も意固地になってて甘えるタイミングもつかめなかったのかなとか、父親も気分屋でよくわからんことで怒鳴ったり怒ったりしてたからそんな気分屋から妹たちを守りたくてわざと私が怒られてるっていうのもあるのかなとか思ったり、そんな苦しい私の世界でずっと生きてきたのですが、たまに呪ったりもしてたのですが振り返るとみんな今の私よりも全員年下、そりゃあみんながきんちょだわってなぞに納得できましたヤッター

 

 

家族や親戚以外の人には素直に悩みを言えたり頼ったりできてて、気持ちも出せるようになってきて(でもやっぱり悲しいとか苦しいとか泣くとかは数年くらいかからないとむずかしいけれど)

当時出したかった私、ゲラゲラ笑ってみたりとか、はしゃいでみたりとか、いまでは当時の凍った気持ちなんて嘘みたいに喜怒哀楽が出せていて、とても嬉しいなと思うわけです

 

そのあたりもずっとフリースクールかつ進学もせず自分の殻に閉じこもって親のもとにずっといたら心が凍りっぱなしの意固地の塊だったと思うから、思い返せば中学の時かな、怖すぎる中で進学を決めて人と向き合うことを選んだ自分を褒めたいなって思うわけでした

 

 

 

親や親戚には頼らない、甘えないしっかりとしたクールな子でいなきゃいけないとか思ってるのかなと

そっけない、クール、愛想がない、扱いづらいってレッテルを貼られるとそこから脱出するのってすごくすごく難しいと思うから

 

私もだからなるべく人に対しては、「この前こうだったし」って前の情報を持ち出すよりも、できるだけ先入観とかなしにその日の感情で関わって

嬉しかったりなんかもやっとした時はその場で軽いうちに関わって、フラットな状態で終わらせたいなって思ったりもして

いい意味で人に期待しないで、自分を大切にいきたいなってしみじみ思ってます冬の終わり

 

 

 

 

敏感すぎて困っている自分の対処法

 

これはねびっくりしたぞ、あまりにも自分のことが書いてあってびっくりしたぞ

 

まずチェックリストが全部当てはまって笑って(人間だもの誰しも少なからず当てはまるようになってるのだと思うんだけどね)

あとはHSPの不調が起こる原因→エネルギーに過敏すぎて人の不調に影響されてしまう、幼少期の家庭環境で負ったトラウマが脳や神経に影響って書いてあったのがもう!

その文章だけでも救われて!トラウマが脳や神経に影響を与えるんだったらもう仕方ねえな!って思えてなんだかいろいろ腑に落ちたのがすごくよかったです

 

 

あとはやっぱり人と近すぎるが故に、境界侵入を許しちゃうとか、人の悩みとか相談も自分のように考えすぎちゃって不調とか

意識してなかったしずっとこうやって生きてきたから気付かなかったんだけど、あれもこれもわかりみがふかいことがたくさんあってわろた

 

だいぶ人は人って距離を取ることができるようになってきたけど、まだまだ自分軸で生きてる人からしたら片足突っ込んでるくらいなんだろうな〜〜

でも仕方ないよ生まれつきこんなだし、幼少期のトラウマが脳や神経に影響してるからより一層なんだよねうんうんって気持ちになれたのも強い

 

 

全員をもれなくありのままに大切にするとか、嫌なところがあってもこの人はもしかしたら根っこは嫌な人じゃないのかなとかも(素敵なところを探そうとする)、どうしてそんなことを思ったり言ってしまうんだろうって関わる人全てを考察しようとしてたのかもしれないとふんわりと気づいてきて

 

そうじゃなくて自分の中で大好きって思える人大切な人をひたすら大切にする時間をより深く狭くしようって今更ながら気づいたりもして

気付かないふりとか聞いてるふりとかそういったこともできるようになっていきたい、自分を守るためにね、あとはそういうもんだよっていう諦め(?)

 

 

 

今週のお題「小さい春みつけた」

スターバックスリザーブロースタリー春でしたかわいい

 

 

なんて唐突に初めてのお題やってみた

 

 

 

あとは最近改めてすごく気付いたんですけど休みの日ものんびりするのが苦手というか、少し時間があったらなにかしなきゃ〜〜〜って気持ちに囚われてます

家事、ご飯の献立考えて買い物、そういったことをやってのんびりしたらいいんだけど

 

 

少し時間が空いたからこの時間を何か有意義に使えるのではないかなってハラハラしちゃったりとか

すごくハラハラしてた時期は読んだ本をブクログに記入、コスメの口コミをアットコスメに記入、行ったカフェをインスタとか口コミサイトに記入、加えてスキマ時間になにかバイトみたいなことできるんじゃないかなってスキマバイトアプリ見たり

アンケートサイトとかポイントサイトとかなにかちょっとでも自分のやったことを残さなきゃって思ってるのかな、わからんけど、冷静に見返すと自分でタスクを増やしまくってそりゃあ疲れるわろた

 

 

スキマバイトアプリはギャグとかじゃなくてほんとにまだ働けるのではないかって血眼になって探しちゃってたんですよね、それで新しいところで働く自分を想像して疲れるまでの流れで

出勤からうまくできるかなとか何通りも何通りもイメージトレーニングしてうまくやらなきゃってへとへとになってました、ちょっと前まで、さすがにこれはいかんと思ってアプリは消した

 

 

何事も向き合いすぎてるのかな、当たり前だなと思ったことでも書き起こすと自分でもわりとどんびき

 

あとは読んだ本も全部読むのは大前提で自分の中で考察して、手帳に気になるフレーズとか書き出して、ブクログにもなんとなく感想書いてってながれをしなきゃって何故か自分の中でルールを作って囚われてて疲れちゃってたんです

 

いやそんなことあるわけない!って急に気づいて、借りた本も合わないなあって思ったら途中でやめて返却したり要点ぽいところだけぱらぱらと読んでみたり

ビビッときたフレーズはたまにメモすることもあるけどそれ以外は軽い気持ちで読むことができてるのもかなり成長

 

 

でもほんと、昔はもう少し軽い気持ちでいろんなことを楽しめた気がするのにいつの間にこんなにがちがちになっちゃったんだろってたまに我に返ります

幼稚園〜中学(フリースクールだったけど)はがちがちだったけど、高校大学はわりとゆるゆるいろんなことを楽しんでた気がするな、責任も何もなくて周りのハッピーな影響もあったのかなあその辺りもまた

 

 

 

もしかしたらブログも書かなきゃって気持ちに囚われちゃうかなって思ったけどこれはもう完全に趣味だしわーって気持ちを吐き出す発散として楽しんでます、これからもその調子で!

 

 

@コスメはたまに当選してうれしいから気が向いたら書く!

けどそれ以外はほんとに気が向いたら書いてやる!ってかんじですね!こんなことも表明できないとすぐ真面目に向き合っちゃうのほんと真面目っていうかいきづれえなあって気づいたところで今日はこのあたりで

 

そりゃあSNS向いてないなあってきづく