嫌われる勇気があまりにも刺さったので思わず続編も読んでしまったのよ
やっぱり心に残ったのは
今にスポットを当てて、自分を大切に
以下半年くらい前にいったん家族に対しての気づきがあってぶわーって書き殴ってたんだけど!
向き合いすぎて調子を崩しちゃった時のやつ!笑
今週のお題「卒業したいもの」
今年はインナーチャイルドや過去の囚われから卒業したいな、今を生きるの
当たり前のことかもしれないけれど言われないと自覚できないものなんですよね、遠い遠い未来のことが心配になっちゃってぐるぐる考えて動かなくなったり、どうしようもない過去のことでおちこんだりもっとどうにかならなかったのかなあのときってずっと反省したりそんな反省してる自分を自分を追い詰めたり
気持ちが未来と過去をあっちに行ったりこっちに行ったりしてて全然今にスポットを浴びてないなあって、とても心に刺さったのよね
ところで全然話が変わるのですが自分軸他人軸もようやく少しずつ自分の中で腑に落ちてきたというか納得できたというか
これまではやっぱりアダルトチルドレンなのかHSP気質から来るのか昔から親に受け止められずに否定ばかりされてて、といっても最近ようやく気づいたのは親は20半ばくらいに私を産んだけど今の私はその親の歳を超えて思ったのがまだまだ子どもじゃん(?)って感じなんですよね
今の私はまだ過去のことでぐるぐるしてるのに親は今の私くらいの時には私を産んで育てて、シンプルに、なんか、すごいなって思ったんですよね、自分はまだ全然がきんちょで自分の世話すらできてないのにさあ
だから昔のわたしからしたらすごく大きな存在で絶対だった母も、心はお母さん一年生だったからそりゃあ受け止めたりとかできなかったよなあって思うことが少しだけできたんです、年子の妹に、いとこも同じくらいで一気にできて、そりゃあ年長のわたしはしっかりしてほしいだろうし
繊細すぎてめんどくさかっただろうし、妙に冷めてて扱いづらいというか(うまく甘えられなかっただけだけどさ)どうしたらいいかわからなかったんだろうなと思うことができてきたんですよね
子どもらしく無邪気に甘えることができたらって当時の私も1番悩んでたし、気持ちを話すこともできないし、弱音なんて吐けないし、泣くことも恥ずかしくて、でもわかってほしくて怒ってばかりいた苦しい思春期のことをなんだか次から次へと思い出したりしました
可愛くない子とか、いじわるな顔とか、すごい言われてたのも思い出すな、確かにいきなりお姉さんらしくと言われて納得できるわけはないんだよ、まだ甘えたい盛りなのにさ???
たぶんがちがちにそんなことを言われ続けてきたから私も意固地になってて甘えるタイミングもつかめなかったのかなとか、父親も気分屋でよくわからんことで怒鳴ったり怒ったりしてたからそんな気分屋から妹たちを守りたくてわざと私が怒られてるっていうのもあるのかなとか思ったり、そんな苦しい私の世界でずっと生きてきたのですが、たまに呪ったりもしてたのですが振り返るとみんな今の私よりも全員年下、そりゃあみんながきんちょだわってなぞに納得できましたヤッター
家族や親戚以外の人には素直に悩みを言えたり頼ったりできてて、気持ちも出せるようになってきて(でもやっぱり悲しいとか苦しいとか泣くとかは数年くらいかからないとむずかしいけれど)
当時出したかった私、ゲラゲラ笑ってみたりとか、はしゃいでみたりとか、いまでは当時の凍った気持ちなんて嘘みたいに喜怒哀楽が出せていて、とても嬉しいなと思うわけです
そのあたりもずっとフリースクールかつ進学もせず自分の殻に閉じこもって親のもとにずっといたら心が凍りっぱなしの意固地の塊だったと思うから、思い返せば中学の時かな、怖すぎる中で進学を決めて人と向き合うことを選んだ自分を褒めたいなって思うわけでした
親や親戚には頼らない、甘えないしっかりとしたクールな子でいなきゃいけないとか思ってるのかなと
そっけない、クール、愛想がない、扱いづらいってレッテルを貼られるとそこから脱出するのってすごくすごく難しいと思うから
私もだからなるべく人に対しては、「この前こうだったし」って前の情報を持ち出すよりも、できるだけ先入観とかなしにその日の感情で関わって
嬉しかったりなんかもやっとした時はその場で軽いうちに関わって、フラットな状態で終わらせたいなって思ったりもして
いい意味で人に期待しないで、自分を大切にいきたいなってしみじみ思ってます冬の終わり