なんとかいきてる

ゆるく幸せに生きられますように。HSS型HSP、INFJ、数秘33の気質だからなんだか生きづらかったんだなあって気づいたよ。離婚、アダルトチルドレン、不登校、うつ、自死遺族などなどいろいろあってインナーチャイルドと向き合っているよ。色々重いこと書いたけどコーヒーやカフェやらくがきがすきなただのおたくだよ。

名前のない生きづらさ

 

 

ついにこのあたりに片足突っ込んでしまったようって気持ち

 

 

幼少期から中学まで本当に本当に生きづらくて、なんていうか上手く生きられなくて、ずっとなんだかいきぐるしさを感じてました

同級生の学校が楽しいって感覚もわからないし、思ったことを口に出せないし、甘えるのもうまくないし「可愛くない子」だったな、加えて初めてのことがこわいし苦手だしできることなら初めてのことは何にも経験したくない、というか成功って目に見えてルートがあるならいけるけども不安が大きいんだろうな、うまくやらなきゃとか、わからないけど

 

 

同じHSP気質の日記を読んで、日直とか当てられるのとか音読が苦手って読んですごくわかりみが深くて「え???みんな苦手じゃないの??」って思いました

 

あと例えばもし当てられたらうまく話せるかなとかそれだけで頭がいっぱいで心はずっとパニックでした、幼稚園前から吃音も持ってたなそういえば、きっとうまく話せないかもって気持ちがストレスになってしまったのだとおもうけれど、連発と無音だったかな、(血の轍の主人公の吃音の状況とかほんとにわかりすぎて泣いた)

 

ほんとにほんとにうまく話せなくて気持ちは溢れてたんだけども何も言葉にできなくてもどかしい日々だった、家族も親戚もハッピー気質だからこんなに苦しい私の気持ちはいまいち伝わらなくてもどかしかったな

離婚した父親はうまくできない私に怒れちゃう感じだからピリピリしてて、すごく怖くて当時から誰も私のことをわかってくれないって気持ちが大きかったなそういえば

 

小学校にして全然人が信じられないの、わらう、

 

 

なんでいきなりこんなことを書き始めたかというと、あれから自分なりに頑張って頑張って走り続けてきたけど、気づいて楽しいことも嬉しいこともたくさんあるけどどうにも根っこが虚無というか

ひび割れたコップにいつも水を注いで満タンにならないというか、うまくいえないけれど、根っこの部分を修復しなければ、自分の気持ちと向き合って幼少期の自分を受け止めてあげなければずっとずっと苦しいのかなとかおもっちゃったわけです

 

あと私は生まれてからこの考え方とか繊細さが当たり前だったけど、そうじゃねえなとか、色々気づいたからこそあえて当時のままに書いてみると色々拗らせてるし考えすぎてるな(笑)

今の私が当時の自分を見ると、この時点ですでにもっと楽に生きてもいいのにとか思います、子どもなんだからさ〜〜〜

 

でも今だから言えるってことで、当時の環境だったらまたおなじくりかえしだっただろうなとも思える

 

 

あまり振り返るのは得意じゃないし、ずっと心に蓋をしてた部分を掘り返したからちょっと心が苦しい、無理しないように少しずつ合間に向き合えたらいいな〜〜〜

 

 

 

 

なんていいつつそんな子どもの根っことか生きづらさに関連する本を借りたりいろんなことをそういえばって巻き戻して思い出したりしたら数日心がざわざわしちゃってざわざわしちゃって、そんな気持ちの中でどうにか頑張って生きてきたんだね頑張ったね、なんて、とりあえず少しだけはきだして受け止めてみたら少しだけ心が救われたかも